序章-NHKという「日本棄損装置」

現在のNHKは粉々に解体すべき反日放送局である。
国会におけるNHKの偏向放送問題では、質問する政治家がNHKの番組を、総花的に俯瞰で調べていないので、答弁に立つNHK会長にいつも浅い言葉でのらりくらりと逃げ去られている。NHKを解体民営化するくらいの気概を持って、質問に立つほどの覚悟が無ければ、何度国会で問題にしても同じ事の繰り返しであろう。
真っ当な政治家が、いかにこの日本を少しでも良くしようと頑張っていても、NHKをこの日本に置いておく限り、それはシーシュポス(Sisyphe)の神話にも似て虚しい。
たとえば現在人気の朝ドラの「あまちゃん」にさえ、日本毀損の仕掛けが随所に施されていると言ったら信じてもらえるだろうか。しかし現実である。
 
かつてのNHKは「日本人のための大人の教科書」であった。
公共放送として国民から受信料を徴収、血税を投入し「NHKの報道や番組なら信用できる」という、あたかも国営放送局的なイメージを持っていた。(実際は国営ではなく公共である)
今でも地震などの大災害時に選択するチャンネルはNHKと言う人が多いだろう。NHK=国家=確実というイメージ故に。ところがそのイメージを悪用し、いつの間にかあたかも中国韓国側に立ち位置を移したごとき反日局に変貌したのが、ここ数年間のNHKの実情である。

1.報道にみるNHKの日本棄損

具体例を追ってみよう。
まず報道。
先の山口の豪雨被害の報道でLINE(ライン)を使い未然に危機を脱出したという報道が為された。LINEとは日本企業を装った100%韓国企業のスマートフォンアプリの固有の商品名である。
そして夜七時のニュースでは「K・POPグループ少女時代が初来日」をトップで扱った。日本デビュー前で知名度の無い歌手を何故ニュースにするのだろうか。
冬のソナタのペ・ヨンジュンに至っては、ニュース速報で殺到したファンが怪我をしたと流した。一体何のための速報なのであろうか。
そして日本で韓国文字の携帯メールが流行しているというニュースもあり得ない。何故なら日本の通常の携帯では、ハングル文字を打つことが出来ないからだ。
今年NHKの公式サイトの映像マップで、韓国側の主張する「東海」併記をした。彼らの意識がどこにあるか、端的にわかるエピソードであろう。日本人ですらない。
 
また韓国に都合の悪いニュースは報道すらしないという問題もある。
韓国の日本大使館は、韓国の一万二十七ヶ所の食品取扱事業者に対する点検を行い、その結果五百九十二箇所が食品衛生法に違反していることが判明したのだが、このニュースは現時点ではNHKも民放も報道すらしていない。
食の安全性、日本国民の命に直接関わる問題なのに何故報道しないのだろうか。
韓国食材の様々な危険性は前々から指摘されていたことであるのに、日本国内向けへの報道は皆無といってよい。
韓国食材の輸入禁止措置を取られると困るという同族意識が働いているのではないかという、強い疑念を持たざるを得ない。
ネット上において、個々に検証されているので詳しくは触れないが興味を持った人は調べて欲しい。いかにNHK内部に韓国人勢力がいるのかが歴然と解るはずだ。

2.作為に溢れたドキュメンタリー

次にドキュメンタリー。
NHKの日本国家への明らかな悪意と作為に、私が最初に息を呑む思いをしたのは、「NHKスペシャル JAPANデビュー・アジアの一等国」(2009年4月5日放送)であった。インタビューを受けた当の台湾人からNHKが訴えられたのである。
訴訟内容は、「日本の台湾統治を一方的に植民地政策と断罪し批判するため、台湾人の率直な証言を編集によってねじ曲げている」「台湾人少数民族の公演を『人間動物園』と貶められ、台湾人の名誉を著しく傷つけられた」など。
かつて日本人であったことを今でも誇りに思ってくれている台湾人を何と侮辱したことだろう。ドキュメンタリー番組と謳いながら、歴史をねじ曲げ改変することの卑劣さ!
これを機に、私はNHKの番組をニュース、ドキュメンタリー、ドラマ、バラエティに至るまで細かく洗っていって、その余りの偏りかた、洗脳方法の酷さに声を失うこと、しばしばであった。
しかしながら、いまだに大多数の日本国民は、NHKのいう事は間違いがないという幻想に取り憑かれている。特に地方都市に行くほどNHKへの信頼度は、ほとんど妄信であり、それは従軍慰安婦、靖国問題を自らでっち上げてきた朝日新聞への信頼と似通うものがある。
このままではNHKによって改ざんされた歴史が、真実の歴史として定着してしまう。
いや、すでに間違った歴史認識を持たされた日本人が大半であることに、私は慄然とする。自虐の反日日本人の何と巷に溢れていること。ご先祖が代々紡いでいた真実の歴史に対して、慚愧の思いを持つ国民も、しかし、いくらかはいる。
神武建国以来二千六百年余、受け継がれ洗練の極みに達した日本固有の美と文化、倫理を未来の大人たちへと私たちはつなぐ責務を負っている。
瑣末な身ではあるが、私はある日、決意した。NHKの日本毀損番組を詳細に検証し、その悪意・作為に気がついた者として、これは世の中に語っていかねばなるまいと。

3.視聴者の「心の隙」を狙うNHK

NHKは日々刻々、報道や娯楽の形を取って、それゆえ無防備な人の目に耳に、「日本は悪い国だった」と映像を見せ、耳に注ぎ込む。そして日本が嫌いな日本人をどんどん生み出していく。
例えばまず、文化庁芸術祭で優秀賞を受賞した、NHKドキュメンタリー「終戦、なぜ早く決められなかったのか」(2012年8月15日放送)。最後のナレーションに日本毀損の意図が集約されている。
「310万人の日本人と多くのアジアの人々の犠牲はなんだったのか。
もっと早く戦争を終える決断が出来なかったのか。
そして日本は過去から何を学んだのか。
この問いは私たちにも突きつけられているように思います。」
 
NHKの主張や考え方は、三百十万人もの日本人の犠牲者は、戦争を早く集結させなかった、戦前の政権中枢が全ての原因であり、日本によってアジア各国が多大な犠牲を払ったというのだ。
大東亜戦争が起こった時代的な要因や、各国と日本との外交駆け引きを全く考慮せず、まるで日本だけが原因で極悪な戦争を引き起こしてしまったかのような一方的解釈である。
諸外国がこの番組を視聴した場合、日本の公共放送(国営放送であると言う認識である)が過去の日本の非道を認めたということになりはしないか。偏った視点のみで描かれた歴史認識を国際社会に固定化させてしまうのだ。放送法に拠れば、少なくとも視点は一つに固定してはならないはずである。(放送法第四条)。NHKは海外放送も展開しており、諸外国でNHKのほとんどの番組を視聴できるという点を見逃してはならない。
「終戦、なぜ早く決められなかったのか」では落ち着いた語り口調、悲惨さを強調する動画、寂しげな音楽など、ビジュアル面でも日本の負の部分だけを意図的に強調している。
これが日本人から受信料という名前のお金を奪い、公共放送を名乗る放送局の姿であろうか。こういう捏造番組を、日本国の文化庁が顕彰する。いったい、きちんと番組内容を観た上での事なのか。
 
長期シリーズで放送されていた「日本のこれから」と言う生放送の素人公開討論番組に、主婦や学生の肩書きで、固定した左翼運動家を毎回レギュラーで登場させていたのも記憶に新しい。
ノンフィクションであるべきドキュメンタリー番組をあたかも韓国の放送局かともいぶかしまれる「最初に脚本ありき」のフィクションにしてしまうのは、今やNHKのお家芸と化している。
前述した2009年4月5日放送のNHKスペシャル「JAPANデビュー・アジアの一等国」の悪名高き第一回目、「人間動物園」も事実無視のフィクション化の典型である。
「当時イギリスやフランスは博覧会などで、植民地の人々を盛んに見世物にしており、人間動物園と呼ばれていた。日本はそれを真似た」と。
実際の1901年の「日英博覧会」では、京都相撲の力士団30余名も同様に相撲を披露し、日本人の農民も米俵製作の実演をした。
台湾原住民の生活ぶりや戦の踊りだけを取り上げて、なぜ「人間動物園」なのだろうか。
檻に入れた事実なんてどこをどう探しても出て来ない。
そもそもこの内容は、博覧会のプログラムイベントの一環として行なわれたもので、きちんと手当も支給されていたものだ。NHKは親日国の台湾の人々の日本への親近感をも「反日」に書き換えることすらするのである。書き換えられた台湾の人々がNHKに抗議に立ち上がったが、真に立ち上がるべきは日本人であろう。
 
そして悪質なのが毎回必ず放映されるこのシリーズのオープニングの映像である。
「未来を見通す鍵は歴史の中にある 世界の連鎖が歴史をつくってきた」というクレジットが出て、CGを多用した陰鬱な映像が使われている。
まるで日本の歴史の検証をする事がさも辛いことであるかのような印象操作。
ある特定の悪意を持って構成されているNHKの演出の恐ろしさが実感できると思う。
人の感情をある一定の方向へ導こうという意味においては、青い空・入道雲・汗・水流と並べて、ビールへと持っていくCMと同じなのだ。
このオープニングは30分の1秒という人間の目では識別できない一瞬の時間に、軍服姿の昭和天皇の画像を記憶に焼き付ける、サブリミナルという手法を使ったと言われている。
サブリミナルについては日本国内でも放送基準が設けられ、1995年9月26日に日本放送協会(NHK)が、1999年には日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化したのにも関わらず、NHKはその禁を犯したのだ。こういう一局の掟破りをなぜ文化庁が顕彰するのか、国家がその歴史捏造を褒め称えるのか、それも問題であろう。

4.刷込装置と化したドラマの数々

それでは、NHKのドラマではどうだろうか。
宮藤官九郎、脚本の朝の連続ドラマ「あまちゃん」。
八十年代に青春を送った人には懐かしさを感じさせつつ、若者には秀逸なAKB48のパロディや、ご当地キャラのブームなど取り入れ、あらゆる視聴者層を網羅しているような作りではある。
しかしヒロインのタクシードライバーである父親の乗るタクシーが「ヒュンダイ」とあからさまに映され、居酒屋のシーンになると本来銘柄を隠すべき焼酎が「鏡月」であるという具合。登場人物が仰ぐ団扇には韓流芸能人、とあたかも韓国のステルスマーケティングの巣窟と化しているごとき印象。
国民の受信料と税金で運営している公共放送であるのだから、民放のように番組スポンサーに配慮する必要は全くない。番組中に特定の商品名を出したりしないなど、公平性を担保しなくてはならないはずだ。
以前のNHKは特に厳しく、山口百恵のヒット曲「プレイバックPart2」が「NHKヤング歌の祭典」で歌われる際に、歌詞の「真っ赤なポルシェ」の部分が「真っ赤なクルマ」に変更させたエピソードは有名である。
ちなみに韓国焼酎「鏡月」であるが、日本ではサントリーが日本では正規代理店として販売しているが、数年前、その鏡月のサントリー公式ホームページのキャッチコピーで「日本海」をわざわざ「東海」と表記して大問題になった商品なのだ。
ヒロインの祖父母の家に置かれている古いブラウン管テレビも「サムスン」製という露骨さ。
脚本家は特にト書きなどでメーカー指定などしないであろう。要するにNHKの美術スタッフか監督の勝手な暴走であると判断するしか無い。
昨年の大河ドラマの平清盛は、まずビジュアル的に異様に汚い。主役である清盛も汚ければ、滋子の縮毛も普通では無い。
番組内での性描写も生々しく、とても親子で日曜の夜に観るのに耐えないものだった。
そして最もやってはならないことを平然としてやってのけた。
日本の歴史そのものである天皇家を「王家」と呼ばせたことだ。
これを意図的な歴史の改ざんといわずして何というのか。朝廷はあっても日本の歴史に王家など無い。
世界に一つしか無い天皇家を、番組内で王家と呼んだのは、韓国が天皇を「日王」と呼ぶに等しい。
韓国報道では必ず天皇陛下を表現する時「日王」と記載する。
韓国は歴史上、常に支那の属国であり、その皇帝の下に位置するのが、韓国の王である。
日本が中国と同格の皇帝であっては、朝鮮が日本より劣るということになってしまうから、何が何でも天皇は皇帝ではなく王であるという屁理屈をつけるのだ。
日本の歴史という悠久の時間を、一系で繋いできた天皇家の特別さは、中韓以外の世界では容認され讃嘆を受けている。
アメリカのオバマ大統領が初来日の際、今上陛下に対し、今まで他の誰にも示したことのない、深々としたお辞儀で最大級の敬意を示したことは記憶に新しい。
NHKは娯楽であるドラマを、自局の偏向思想に基づいた歴史改竄の道具として平然と使ってのけるのだ。
今、巷で人気があり映画化もされた「タイムスクープハンター」は、NHKのドキュメンタリー・ドラマ風歴史教養番組と言う主旨だそうだが、江戸時代や戦国時代を舞台に描くときに、出てくる登場人物は、皆、髪はボサボサ、ボロ布をまとい、食べ方は汚い、街の描写も薄汚く、略奪強盗がまるで日常茶飯事であるかのように描かれている。
或るシーンでは、胸元をはだけ、色彩失せ模様もない、垢で汚れた白い衣類をまとっており、まるで日本統治以前の朝鮮の姿そのままだ。真の江戸時代は鎖国政策で、和の文化が成熟し、庶民がかんざしや櫛などの小物でお洒落をしていたというのが本当のところである。士農工商という言葉が出来たくらい、現実は商人が利益を得て、江戸の粋など今の日本に残されている数々のもので観ることが出来る。
お江戸八百八町の各地域で統制が取れていて「お互い様」という日本独特の謙譲精神もこの時代に生まれているのだ。相互扶助という概念も長屋の大家が店子を助け、いわゆる日本独特の文化成熟が為されていた時代である。歌舞伎や文楽、浮世絵なども庶民の娯楽として発展して行った事は間違いないはずである。
歴史的資料として残されている、外国人が撮影した江戸末期の写真と、日本の朝鮮統治前の現在のソウルの写真を突き合わせれば一目瞭然なのだが、残念ながら大多数の日本人にはその実情は殆ど知らされていない。
大奥を舞台にした「ドキュメンタリー風」を自称するそのドラマにおける着物の着付けも、夜鷹のようにだらしなく、あり得ないものだった。
女性の髪型はその身分も表していたから、きちんと専門職の結い方が整えていた。
江戸後期の浮世絵「金子伊勢屋楼上図」(文久二年・一八六二)は、遊郭での遊女の様子を歌川国明が描いたもので、この時代の女性の着物などの色彩の優美さ豊かさ、染色技術や織物技術の素晴らしさが手に取るように解る。
現代に受け継がれている御皇室の宮中祭祀の内容を見れば、日本独自の文化の成熟度が解るではないか。
NHKは何を根拠にこのような明らかに真実と異なる時代考証を行っているのだろうか。
「ペリーの日本遠征記」によれば「最下流の階級さへも、氣持ちのよい服装をまとひ、簡素な木綿の衣服をきてゐた」と記している。
確かにドラマはフィクションであるから、100%のリアリズム追求は必要ない。しかし、最小限の史実は守るべきで、だからこそ歴史考証家がつけられる。しかも、「ドキュメンタリー風」を謳っているのであるから、尚更史実の最小限の基本は守るべきであろう。捏造史実に「ドキュメンタリー風」と銘打つのは姑息な嘘である。
人気俳優を多数起用し、何シーズンにも渡って作り続けられている「タイムスクープハンター」。NHKは海外でも多くの国で視聴可能である。
NHKという、海外では日本の国営放送局だと思い込まれている局製作の番組なら、これが真実の日本の過去の姿だと思い込む外国人視聴者がほとんどであろう。
私は以前NHKで放送されていたアメリカドラマの「大草原の小さな家」で主人公の食卓に並ぶ数々の食べ物や主人公が着ているふっくら袖のドレスに憧れを抱いた。果たして「タイムスクープハンター」を視て日本に憧れる外国人視聴者はいるのだろうか?むしろ侮蔑感や、嫌悪感を植え付けかねないのではないだろうか。
現代劇ではもっと、生々しく、料理中の妻を夫が襲い衣類を剥ぎとって押し倒し、あろうことか妻の顔にマヨネーズをかけて、更に欲情するといういわゆる変態プレーが描かれていたが(連続ドラマ『カレ、夫、男友達』)、ドラマ上の必然性は皆無だった。
扇情的な要素で番組を売る姿勢は、朝の情報番組にすら及ぶ。朝の情報番組「あさイチ!」で、携帯をテーマにした回では、ここでは伏字にしても書けないほどの淫猥な言葉が、朝から画面に踊っていて、目をそむけるほどであった。そして他の回のセックスレス特集はまだ許容するとして、司会の女子アナに「膣の締まり」をよくする器具に座らせ声を出させ、あられもない感想を言わせる節操の無さ。視聴率稼ぎのためには、何でも辞さない民放ですらここまでは身を落とさない。
フェミニズムの偏狭な見地から言うのではない。幅広い年齢層が観る局に、ここまでいわゆる「エロ」が必要か、という提言である。

5.NHKとはいかなる組織なのか

さて、NHKとは具体的にどういう組織なのか。
日本放送協会(通称NHK)は日本の公共放送を担うために、1950年日本の放送法に基づいて設立された特殊法人である。NHKの前身は大正15年に設立された「日本放送協会」でNHKという名称は戦後GHQの指示で作られたものである。
所管は総務省である。
設立目的は、放送法により「公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように、豊かでかつ良い放送番組による国内基幹放送を行うとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び協会国際衛星放送を行うこと」とされている。
NHKは放送法の第一条に定められているように、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とした民間放送と異なる「特殊法人」なのだ。
資本主義経済の中においては、文化的な価値が高くても、或いは継承していかなくてはならないものであっても、地味であり視聴者がつかないような、いわゆる採算に合わないものは切り捨てざるを得ない。この点民放ははっきりとしている。視聴率が悪ければスポンサーが付かず、番組も打ち切りになる。どんな良質な番組であってもスポンサーサイドの「経済の論理」が最優先される。それはそうであろう。無料で番組を視聴できるのだからスポンサーサイドに何らかのメリットが無ければ番組は継続など出来ない。
だからこそ、NHKは特殊法人としての責務を課せられているのであり、同じ放送局なのに民放と異なり、法人税が免除されているという意味はそこにある。
税金も免除され、赤字補填は税金が投入されるNHKが、ガツガツとお金儲けをする必要性はどこにもない。
NHKが明らかに変貌したのは、1982年の放送法改正で、営利事業への出資を認めたとき。
それ以前から「シルクロード」ブームを中国中央電視台(中国国営放送)と共同制作で演出し、シルクロード=中国というイメージを創りあげた。そして子供番組では「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」を同時期に放送し、大人から子どもまであまねくシルクロードブームを作ったのだ。しかもチベットやウイグルで原爆実験を行った後と言う非常に危険な時期に、日本人観光客をシルクロードへ送り続けるような所作。この時すでに反日の萌芽はあったのだ。
NHKの背後にはNHKエンタープライズをはじめとする、制作費を中間搾取し、本来はNHKの本体のものである利益を分散させる役割を持つ、NHK社員の天下りのための子会社が控えている。
要するにNHK本体の本来の収益を、子会社を通すことで少なくさせているのだ。

6.NHKの利潤追求は許されるか

 その利益搾取の実情を明らかにしたい。
大人気のNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の商標は、NHKエンタープライズが権利を持っている。
まちおこしのために、例えば街の小さな和菓子店が「あまちゃんまんじゅう」を作って売り出したら、NHKエンタープライズから損害賠償を求められるかもしれないのだ。
NHKエンタープライズは大河ドラマなどの商標登録もしており、一例を挙げると「篤姫」では製作発表前に「篤姫」という名前を商標登録していた。
「篤姫」の名がついた商品を販売する場合は、NHKの子会社側に使用料を支払わなくてはならないというわけだ。篤姫と言うのは歴史上の人物では無くNHKが創作をした架空のキャラクター名であると言うのであろうか。あまちゃんも海女ちゃん、甘ちゃんと昔から普通に使われていた言葉であると私には思える。
「勝手に地域興しに使用はするな、使いたいならなら金払え!」と言っているに等しい。
 
NHKの人気アニメでロングランのシリーズ制作が続けられた「バクマン!」も例にあげてみよう。
原作者、作画家、原作の出版社である集英社、放送局のNHK、NHKエンタープライズ、小学館集英社プロの順番で著作権表記がある。
問題は放送局NHKの次に何故かNHKエンタープライズが入っていることなのだ。
小学館集英社プロダクションは一ツ橋系出版社の漫画やアニメの版権管理の専門会社だが、その前になぜNHKエンタープライズが入る必然性があるのであろうか?
放送枠を探してスポンサー見つけて、制作費を調達して、番組制作を進行させるのが通常の広告代理店の業務である。
はたしてNHKにそういう会社が本当に必要なのだろうか。
 
NHKの番組制作のお金は日本国民からの半強制的に徴収する受信料と税金である。
スポンサーを探す必要もなければ、NHKが自身の放送枠を確保するなどということも無い。社内的な問題で地上波かBSかを決めれば良いだけの話である。
NHKが自分でやればいいだけの話なのに、何故エンタープライズを通常の広告代理店のように中間にいれているのであろうか?
著作権収益の二重取りだと言われても言い返すことが出来ないはずだ。
NHKエンタープライズ他子会社は、実に多くの収益を上げており、その利益は国民に還元されるのではなく、裏金やNHKからの天下りの報酬として使われているという疑いさえある。実例で言うと「あまちゃん」のブルーレィボックス・セットが放送も終了していないのに全三巻に渡り、それぞれ一万八千円程度の定価で予約販売が始まっている。こういう例は今までNHKの朝ドラであっただろうか?そして「あまちゃん」番組内挿入歌が大々的に販売されている。番組人気に便乗した商法であると言うしか無い。公共放送であるNHKが、商魂剥き出しでなりふり構わず民放のように収益を上げるためにしているとしか思えない。
 
 

 

7.あえて言う、NHKを叩き潰せ

少し前になるがNHKソウル支局長の制作費流用問題がニュースになった。
韓国の制作プロダクションに、一定額を上乗せした取材経費などを請求させ、上乗せ分を受け取っていたのだ。
その支局長は首にもならず、ほとぼりが冷めた時期にソウル支局長に戻されている。通常のまともな企業でこういう事はまずあり得ない。懲戒解雇されるはずである。
著作権法によれば、確かに著作権は譲渡されない限り、著作者が有する。
著作者の概念は「著作物を創作する者」であるから、NHKで制作された番組の著作者はNHKであるというのが、法律的には正しい。
しかしNHKエンタープライズの主要株主は、日本放送協会(80.72%)NHKメディアテクノロジー(2.97%) 日本放送出版協会(2.85%) NHK情報ネットワーク(2.80%)となっており、つまりは国民から強制的に徴収した受信料と税金で立ち上げた制作費予算の実質的な製作費や売上の中間搾取会社というのが実態なのだ。
地上波放送では、番組と番組の間のいわゆる民放で言うところの「CM枠」にはBS放送の番組宣伝などに多くの時間を費やし放送しており、観たいと思わせる番組がほとんどBS放送というのはBS契約をさせたいためがための姑息な手段である。
BSの場合、受信料は別途に徴収するのだから完全な利益追求企業と言えるだろう。
NHKと韓国の端的に癒着振りを現す事例は、韓国国営局であるKBS放送の日本事務所が渋谷のNHK放送センターの中にあることだ。
そしてNHKソウル支局は、韓国KBS内にある。
現在でも日本の固有の領土である竹島を不法占拠し、更にありもしなかった従軍慰安婦像をアメリカなどの他国で作り、ディスカウントジャパンという日本を貶めることを国策としているその国と、互いに同居しているとは如何なる理由であろう。
NHK内部はもうとっくに韓国という国に侵略をされているのではないかとさえ思える。
 
他国が一国を侵略する際にまず押さえるのが新聞社や放送局のマスコミである。現代の戦争が情報戦であるならば、なおさらNHKという公共を名乗りながら、時に恫喝的にお金を取り立てる局が、すでに乗っ取られているのではないかという疑惑を持たざるをえない。そしてそのこと以上にもっと、私を慄然とさせるのは政治家の、なかんずく国民の無邪気なまでのNHK信仰の様子である。
NHKは早急に解体されねばならない、国民一人一人の手で自戒を込めて。それが日本の再生の第一歩なのだ。大仰だろうか。いや、実体をこの機会にぜひ調べて欲しい、とりわけ政治家に。ことは、一部の政治家が把握しているおそらく一〇倍以上の惨状なのだ。
 
日本国民よ。
NHKの放送事業は、韓国の文化侵略による日本人解体であると肝に銘じよ。
腐りきった自称公共放送、NHKなど要らない。
 


私の志と公約、すべては「国の存続と国民の幸福」のために。

  

国の守りは、海の護りから。

日本は排他的経済水域(EEZ)を含めると世界有数の海洋国家です。
EEZを守りぬくことは日本政府に課せられた使命でもありますが、
日本の海を最前線で守る海上保安庁巡視船艇・航空機等の定員は6,948人です。(海上保安レポート2017)
この人員と装備で「密輸・密航対策、国内密漁対策、不審船・工作船対策、
海難救助、海洋環境の保全、自然災害への対応、海洋調査に当たっています。
海保に対する手厚い予算を付けることと、海での各種活動に支障の出ない法整備を見直し、日本の領海を護ります。
また国土交通省の下請け機関から、内閣府直属機関へ移行するよう提案し続けます。
 

地方を守ることは、国を護ること。

地方を守るということは、国の都合のいい補助金を付けることではありません。
地方自治体が人口減少の荒波を乗り越えるために、その足腰を強くしていくことが国を護ることに繋がっていきます。
地方自治の足かせとなっている憲法と地方自治法の改正に挑み、
国民にとって一番身近な政治家である地方議員が議論しあい、
予算を調整することができるよう取り組みます。
 


日本語を守ることが、国の文化を護る。

母国語を大切にしない国は、知らない間に文化が滅びていきます。
世界の中の日本を考えた時には英語教育も大切ですが、
2600年の歴史を失わないためにも、国語を徹底的に学ぶ環境を整備します。
 


子供を守ってこそ、国が護れる。

子供への虐待が連日のように報道されます。
死に至らないケースが報道されないことを鑑みれば、
辛い思いをしている子供の数はどれ程の数人ぼるでしょうか。
子供は慈しむべきものです。
政治ができることを徹底的に追及し実行てまいります。
 


国を守ったご英霊を、国会議員が護る。

靖国神社をお守りしていくのは国会議員の務めです。
『靖国神社を毎日参拝する国会議員の会』を作り、365日拝殿参拝をいたします。
 

日本の農業を守ることは、国民の命を護ること。

日本の食糧事情は私たちが思っているよりずっと深刻です。
自給率が低いうえに備蓄も少ないく、エネルギーと同様外交努力の中で食糧確保をしていかなくてはなりません。
先ずは国が率先して自給率を上げる政策を打つ必要があります。
また気候変動にも打ち勝つ政策が必要です。


NHKを解体し、最適化する。

NHKの問題点を洗い出し、本当に必要とされる公共放送を作ります。
 
 


高橋富代(とみよ)プロフィール

 尾崎行雄記念財団・咢堂塾運営委員/元下田市議会議員(3期)
経歴
・1963年 静岡県下田市に生まれる
      静岡県下田市立下田幼稚園・下田小学校・下田中学校卒業
      静岡県立下田南高等学校卒業
・1998年 「リープロ住民投票を求める市民運動」代表
・1999年 静岡県下田市議会議員に初当選(初の女性議員、通算3期)
・2006年 尾崎行雄記念財団「咢堂塾」第8期生
・2011年 下田市議会副議長(~2012)
・2013年 下田市議会監査委員(~2014)
・2014年 4期目不出馬を決意、尾崎財団での活動を開始(~現在)
・2016年 参議院議員秘書
論文ならびに出版
・2012年 アパ懸賞論文「第5回真の近代史観」初の佳作入選。
・2013年「尾崎行雄・咢堂塾 政治特別講座講義録」(共編著、内外出版) 
・2013年 アパ懸賞論文「第6回真の近代史観」2度目の佳作入選。
・2014年「世界と議会」第567号(テーマ「地方政治を考える」)
・2019年 アパ懸賞論文「第12回真の近代史観」3度目の佳作入選。